はじめに
データ分析に関わる方であれば「ビッグデータ」と聞いてピンと来るだろう。では、近年注目されている「医療ビッグデータ」と聞いてピンと来るだろうか。
「医療ビッグデータ」とは、画像や数値といった検査結果をはじめとする膨大な医療情報のことで、医療ビッグデータを活用すれば、最新医療や新薬などの研究開発に役立てられる。
しかし、医療情報は収集した各医療機関が分散して保有しているため、医療ビッグデータとして利活用できる仕組みがなかった。そこで新設された法律が2018年5月に施行された「次世代医療基盤法」だ。
次世代医療基盤法の施行によって、医療情報を総合的かつ容易に収集できるようになり、医療ビッグデータの活用基盤が整備された。
本記事では、次世代医療基盤法の概要やポイント、医療情報取扱事業者がすべきこと、施行された経緯、医療ビッグデータの活用で実現することを解説していく。
次世代医療基盤法とは?
「次世代医療基盤法(正式名称:医療分野の研究開発に資するための匿名加工医療情報に関する法律)」とは、医療ビッグデータの土台となる患者の医療情報を各医療機関から収集し、医療分野の研究開発に利活用できることを目的に、2018年5月11日に施行(2017年5月12日交付)された法律だ。
次世代医療基盤法は、国が認定している「認定事業者」が医療機関から患者の医療情報を収集する。認定事業者は医療分野の情報セキュリティや匿名加工、研究開発などに精通している事業者だ。
認定事業者が収集した医療情報は暗号化して保管され、医療分野の研究開発の要望があった際には必要な情報のみを企業や研究機関などに提供する。
当然、患者の氏名・住所など、個人を識別できる情報は提供されないため、プライバシーにも十分に保護されているのが特徴だ。
次世代医療基盤法のポイント
ここでは、次世代医療基盤法のポイントについて見ていこう。
宮内・水町IT法律事務所の弁護士・水町雅子氏がまとめた「医療ビッグデータ法(次世代医療基盤法)の概要」では、次のように記載されている。

医療情報取扱事業者がすべきこと
医療情報取扱事業者がすべきことを理解するためには、「提供義務」「提供時の義務」「監督」の大きく3項目を紐解いていかなければならない。
まず、提供業務だが前提として、医療情報の提供は義務ではない。また、自ら医療情報を匿名加工し、個人情報保護法に遵守して外部提供することも可能だ。
医療情報を提供する際は、以下に記載している提供義務を果たし、必要に応じて各種監督を受けなければならない。
| オプトアウトの準備 | • 本人に通知(提供すること、提供データの項目、提供方法、提供を停止する旨、提供停止の求めの受付 • 方法)・公表 • 主務大臣への届出 • 初回のみではなく、一定事項に変更があれば、本人に通知&主務大臣に届け出る • 主務大臣は届け出られた内容を公表 | | — | — | | オプトアウトへの対応 | • 求めがあれば、遅滞なく書面を交付 • 公布した書面の写しを保存 • あらかじめ承諾があれば、書面ではなくデータでも可 • 提供を停止する | | 記録 | 認定匿名医療情報作成事業者へ提供したときは、年月日等を記録し保存 | | 医療情報の提供を受ける際の確認 | 大臣認定事業者から医療情報を提供する際は、認定事業者の氏名・名称や住所などの確認を行う必要がある。 | | 監督 | • 主務大臣による報告徴収・立入検査の可能性 • 主務大臣による命令の可能性 |

「オプトアウトの準備」については次世代医療基盤法の30条、「オプトアウトへの対応」は同法31条、「記録」は同法32条、監督については35条~37条に記載されている。
原文および詳細を確認したい方は「e-GOV法令検索 医療分野の研究開発に資するための匿名加工医療情報に関する法律」を確認してほしい。
次世代医療基盤法が施行された経緯
2022年4月に施行された改正個人情報保護法をはじめ、個人情報取り扱いへの規制は進んでいるのが現状だ。では、なぜ新しく次世代医療基盤法を新設し施行したのか。
ここでは、次世代医療基盤法が施行された経緯についてみていく。
施行前の課題
次世代医療基盤法施行前は、医療情報を取得した医療機関がそれぞれ情報を管理・保有していた。
そのため、医療情報が分散されていた他、各医療機関の情報を集約し医療ビッグデータとして利活用する仕組みがなかったことから、医療データを十分に活かしきれていない状態だった。
研究機関や民間事業者が情報提供の取り組みをはじめていたものの、情報流通経路が複雑化かつ多岐にわたっていた。その結果、情報がどのように活用されているのか個人の不安を払拭できない、匿名化処理や同意取得におけるデータ処理やシステムの構築、運用コスト負担という問題も浮上していた。
また、個人情報保護法の改正でビッグデータ利活用に向けた「匿名加工情報」という制度が新設されたものの、医療情報は通常データとは異なる配慮が必要だった。
次世代医療基盤法施行で何が変わったのか?
これらの課題を解決するために新設・施行されたのが「次世代医療基盤法」だ。次世代医療基盤法の施行によって、医療情報を総合的かつ容易に取得できるようになった。
また、「匿名加工医療情報」が新設され、医療情報に適した配慮が可能になった他、大臣認定制度や認定事業者への規制強化、オプトアウト導入による個人が制度に参加しない選択ができる仕組みが整備されるなど、厳しい規律が設けられるに至った。
医療ビッグデータの活用で実現する4つのこと
次世代医療基盤法の施行による医療ビッグデータの活用で何が変わるのか。
あくまで一例に過ぎないが、ここでは医療ビッグデータの活用で実現できる代表的な事例をみていく。
①各診療科情報の統合化
まず実現できるのが「各診療科情報の統合化」だ。
例えば、同一の患者が糖尿病で内科、歯周病で歯科を受診している場合、各医療機関においてそれぞれの症状・疾患を分析して、治療しているのが現状だ。
しかし、次世代医療基盤法によって、認定事業者が患者情報を集約し、各診療情報を統合化したうえで医療ビッグデータと活用すれば、他科連携診療によって総合的な治療が可能となる。
これまでの研究で糖尿病患者は歯周病になりやすいことが分かっている。上記のケースでいえば、糖尿病と歯周病を関連づけて分析できるため、糖尿病患者に歯周病の治療を行うことができ、患者の健康状態を向上させる可能性を高められる。
②機械学習用いた医療支援
医用画像を医療ビッグデータとして、AIに機械学習をさせれば、最新の診療支援ソフトウェア製品の開発につなげられる。
精度の高い診療支援ソフトウェア製品を開発できれば、医師の診断・治療といった医療支援が可能だ。
③医薬品の安全性向上
医薬品の安全性向上にもつなげられる。現状、医薬品の副作用報告は医療機関のものしか把握できていない。
しかし、医療ビッグデータが活用されれば、患者全体の医療情報を用いられるため、医薬品投与した母集団および、医療機関から報告があったもの以外の副作用の把握はもちろん、医薬品が投与されていない母集団に同様の有害事象があるどうかも把握可能だ。
副作用の発生頻度が把握しやすくなれば、比較をしやすくなるため、医薬品の安全性を向上させられる。
④質の高い医療サービスの提供
病気の1つとっても、服薬や手術など治療方法は様々だ。また、治療方法も手術方法や服用する薬も様々な組み合わせがあるため、患者に合わせて的確に判断しなければならない。
医療ビッグデータを活用すれば、患者の年齢や性別、症状、意向、状態に合わせた最適な治療法を分析できるため、質の高い医療サービスの提供が可能となる。
次世代医療基盤法検討ワーキンググループの設置
次世代医療基盤法附則において、施行後5年見直しが規定されている。
2018年5月に施行された次世代医療基盤法が2023年5月に5年目を迎えることから、健康・医療データ利活用基盤協議会の下に、次世代医療基盤法検討ワーキンググループが設置され、同法の運営状況や課題を踏まえて、見直しの必要性や内容について検討されている。
次世代医療基盤法の見直しが検討されている事項
内閣府の健康・医療戦略推進事務局が2022年6月6日に公表した「次世代医療基盤法の見直しの方向性について」によれば現状、以下の事項が検討されている。
- 医療情報の収集・加工・分析に関する事項
- 健康・医療ビックデータの利活用に関する事項
- 同法に基づく認定及び認定事業の運営に関する事項
- その他、次世代医療基盤法の施行に関し必要な事項
引用:内閣府 健康・医療戦略推進事務局-「次世代医療基盤法の見直しの方向性について」
検討が進められている具体的な内容
検討が進められている具体的な内容としては大きく「匿名加工医療情報の利活用」「多様な医療情報の収集」「認定事業者による確実な安全管理措置の実施」の3つに分類されている。
ここでは、現状の課題と検討すべき方策についてまとめていく。
匿名加工医療情報の利活用

多様な医療情報の収集

現状、本人通知がないと医療情報を活用できないことから、本人の通知前に亡くなった場合、その方の医療情報を収集することができない。
そのため、国民理解や同法の趣旨を踏まえながら、その必要性について検討・精査されている。
認定事業者による確実な安全管理措置の実施
現在の次世代医療基盤法でも、安全管理措置の実施を義務化している。しかし、適切な安全管理措置は技術進展によって変化するため、定期的な見直しが必要だ。
そこで、匿名加工事例の開発・共有・集積や国単位での運用指針の明確化や、技術進展およびこれまでの運用実績を加味したセキュリティ基準の最適化が検討されている。
まとめ
- 医療情報は取得した各医療機関がそれぞれ管理しているため、情報が一元管理されておらず、医療ビッグデータを十分に活かしきれない、情報流通経路が複雑化かつ多岐にわたり、情報がどのように活用されているのか患者が把握できないなどの課題があった
- 医療ビッグデータの土台となる患者の医療情報を各医療機関から収集し、医療分野の研究開発に利活用できる目的に施行されたのが「次世代医療基盤法」
- 次世代医療基盤法の施行によって医療ビッグデータの活用が活性化され、「各診療科情報の統合化」「医薬品の安全性向上」などが実現可能になった他、オプトアウトの導入によりデータ活用に厳しい規律が設けられた
- 次世代医療基盤法の施行によって「匿名加工医療情報」が新設され、匿名加工情報では難しかった医療情報への配慮が可能となった