この記事では、第二次世界大戦中にエニグマを解読した功績などから、”コンピュータの父”とも呼ばれているイギリスの数学者、アラン・チューリングを紹介します。
はじめに
近年、様々な場面でコンピュータが使用されるようになり、もはやコンピュータのない生活を想像する方が難しくなってきています。
社会人が業務にて使用することはもちろん、学生や幼児であってもスマートフォンをはじめとした、コンピュータデバイスを日常的に用いることが当たり前です。
アラン・チューリングは、その現代的なコンピュータの基本的な動作モデルを作り出した人物として世界的に知られています。
また、第二次世界大戦中、チューリングがドイツ軍の使用していた暗号機エニグマを解読したことによって、連合国側は有利に戦争を進めるできるようになりました。このこともから、彼は一部から戦争の英雄とも呼ばれています。
そんなアラン・チューリングは、一体、どんな人物だったのでしょうか?
アラン・チューリングの人物像
アラン・チューリングは1912年に生まれました。父が当時イギリスの支配下であったインドの高等文官として働いていたこともあり、かなり裕福な家庭で育ちました。幼い頃から、数学や科学にとても関心があり、16歳の時に母に送った手紙の中では、アインシュタインの相対性理論の疑問点を指摘するほどでした。
ただ、数学や科学ばかりを学んでいたことが原因で、第一志望であった大学の奨学金を受けられず、第二志望であったケンブリッジ大学キングス・カレッジに進学しました。
卒業後は、暗号解読組織である政府暗号学校でパートタイムで働いていました。
また、彼は長距離走がとても得意で、とある会議に参加するために64kmもの道のりを、世界レベルのマラソン選手並のスピードで走って移動したこともあるそうです。
アラン・チューリングの功績
彼の功績は多数ありますが、その中でも特に有名な事例を紹介します。
1.チューリングマシンの発明
「計算可能性」に関する議論を行うための抽象機械、チューリングマシンを発明しました。
1900年、ある数学者、ヒルベルトが当時の未解決だった数学の問題をまとめ、それはヒルベルト問題と呼ばれていました。その10番目の問題は、多項式が整数解を持つかどうかを有限的に判定できるか確かめる問題でした。
チューリングはこの問題を解くために、当時の数学には存在しなかった「マシン」を使った考え方を提案しました。
これが、「アルゴリズム」という考え方を形式的に説明する手法となり、計算機科学分野の発展に大きく貢献しました。
この内容は、同時期にこの分野の研究で成果を残したチャーチという人物と合わせ、「チャーチ=チューリングのテーゼ」とも呼ばれています。
2.エニグマ暗号機を解読する”ボンベ”の開発
第二次世界大戦の前半、イギリスは、ドイツ軍の潜水艦によりアメリカからの補給船を次々と破壊されてしまい、深刻な危機に陥っていました。
この潜水艦がエニグマと呼ばれる暗号で指示を受けて動いているということを知り、チューリングを中心とした数学者のチームが、この暗号の解読に取り掛かりました。
この過程でチューリングらは、”ボンベ(bombe)”という電気機械式の装置を完成させ、エニグマ暗号機の解読に大きく貢献しました。
エニグマ暗号の詳細に関しては、下記記事内にて解説しています。
3.”チューリングテスト”の提唱
仲の良かった男の子を若い頃に亡くして以来、”機械は考えることができるのか?”ということに、チューリングは関心を持っていました。
そこで、被験者に、人、あるいは計算機とタイプライターで会話をさせ、相手が人か、計算機かを判断させるというゲームを発案し、実験を行っていました。
この時、被験者が自分が対話している相手が人か計算機か分からないのであれば、その計算機は”人工知能であると考えるべき”だというのがチューリングの主張です。
このテストは、現在の人工知能研究のベースともなっており、これを突破できる計算機システムの開発が行われています。
アラン・チューリングの最期
チューリングは、一時期婚約者がいたこともありますが、同性愛者として生きていました。
1952年、そんなチューリングの自宅に泥棒が入り、その捜査の中で彼自身が同性愛者であることが警察に知られてしまいます。
当時のイギリスでは同性愛が違法であったため、チューリングは逮捕されてしまい、当時性欲を抑えられると考えられていた、女性ホルモン注射の投与を受け入れることとなりました。
これにより、世間的に批判されるようになり、当時勤めていた暗号コンサルタントの職も追われることとなってしまいます。
それから少し時が過ぎた1954年、チューリングは自宅で亡くなっているのが発見されました。
部屋に1口かじられたりんごと、青酸のビンが残っていたことから、彼の死は自殺だと判断されています。
アラン・チューリングの才能
アラン・チューリング研究の第一人者である、ケンブリッジ大学卒業の数学者、アンドルー・ホッジス氏は、ある講演において、チューリングの才能を以下のように言い表しています。
「チューリングの特異な才能の特徴は、非常に抽象的でとらえどころのないように見える問題を、極めて具体的でシンプルな問題にしてしまうところだ。」
これは、チューリングの以下のような発見に見受けられます。
- 数学における「計算可能性」の難しい議論を、一本のテープの上を動き回る「マシン」の動きという具体的でイメージしやすい問題に置き換えてしまったこと。
- 「知能」というどうして良いかわからない問題を、「機械と人間の単純な問答」という簡単なゲームを設定することで、そこに知性の本質があることを示したこと。
また、彼は「本質的でないもの」を排除する性格を持ち合わせていた、とも言われています。
例えば、計算を行うときに、2進数を用いるか10進数を用いるかという議論が起こったときに「何進数であろうが、変換ができるのだから重要な問題ではない」とチューリングは主張し続けていたそうです。先述したエニグマ暗号解読装置”ボンベ”の設計も、「暗号から意味のある情報を抽出する」というものではなく、「可能性のない組み合わせを最短の作業で省く」という思想のもとで行っています。
つまり、「無意味なものを極力排除する」ことが、チューリングが一貫して継続し続けた手法だとも言えます。
アラン・チューリングにまつわる都市伝説
たくさんの功績を残してきたチューリングにまつわる都市伝説は、至る所に残されています。
その中でも有名な話として、Appleのロゴマークがあります。
このマークのりんごには右半分にかじったような後があります。
このデザインの制作を担当したロブ・ジャノフ氏は、「リンゴが他の丸い果物ではなく「リンゴ」に見えるシルエットにするために、」このデザインを作成したと話しています。
ところが、そもそものデザインを依頼した故スティーブ・ジョブズ氏がチューリングを崇拝していたという逸話が残っています。2015年に公開された映画、「スティーブ・ジョブズ」においてもジョブズがチューリングに影響を受けている様子が描写されています。
これらの話題が転じて、Appleのロゴのリンゴはチューリングによってかじられたものを表しているのだ、という都市伝説ができたようです。

イギリスによる贖罪
戦中は機密情報でもあったため、チューリングが生涯その功績によって評価されるということは多くありませんでした。
しかし、2009年に当時のイギリス首相が公式に名誉の回復を宣言し、2013年にはエリザベス2世女王の名の下に、正式に恩赦が発効しました。
また、2014年には、チューリングが主人公のモデルとなった映画、「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」が公開されています。
まとめ
アラン・チューリングは、エニグマ暗号機を解読するなど、計算機科学や暗号理論の分野において多大な功績を残してきました。しかし、時代に恵まれず、不遇な最後を迎えてしまったようです。
ただ、彼が残してきた功績は、現在正当に評価されており、彼の存在が現在の計算機科学の発展を支えていると言っても過言ではありません。
チューリングが戦争のために研究に取り組んだ暗号学は、今や、個人情報を活用するための手段として期待され、多くの団体、企業において研究されています。チューリングがエニグマを解読したことによってイギリス国民を守ったように、暗号技術が進歩することで私たち消費者の暮らしが守られる日々がやってくるでしょう。
- 幼い頃から数学や科学に興味を持ち、若くしてその才能を様々な分野で発揮した。
- 計算科学の分野において多くの成果を残し、現代の計算機科学の礎を作った。
- 悲惨な最後を迎えており、その後も様々な都市伝説が残っている。
- 英国政府によって贖罪が行われ、現在は正当に功績が評価されている。